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  3. 時間の構成方法

時間の構成方法(タイム・ライン)

時間の把握の仕方

(過去の記憶と未来の情報の配列法) 時間認識に影響を及ぼす。 以下の2つの方法がある。

スルータイム(西欧型)デソシエイト

  • 時間軸が目の前の左右に広がっている。時間は連続しているという認識がある。
  • 時間の中のイメージを客観的に眺めている。
  • 自分自身をデソシエイトの状態で見ている。

自分の記憶を左から右、あるいは右から左に保存し、自分の前にタイムラインを描く傾向がある。時間は連続的で途切れないもの。時間は 連続しているという認識が有る。

この人たちは常に記憶を客観的に眺めている。言い換えれば、彼らは記憶の中の自分自身を見ることができる。これはデソシエイト(分 離)の状態である。ほとんどの場合、時間と価値を同じ意味にとらえる。また彼らにとって、ある特別な記憶にアクセスするの至難の業で す。それは彼らの多くが複数の経験を一つのゲシュタルトの中に崩壊させてしまっているからです。ビジネス面では、スルータイムの人は 何かを順調に進めること、期限どおりに仕事を終わらせるのが得意。ところが集中力に欠け「今現在」に対する意識が薄い人もいる。もと もとスルータイムの人は非常に忙しい環境におかれると、なかなか物事に集中することが出来ない。混沌とした職場環境におかれると、パ フォーマンスが下がる。スルータイムの人に対しては、「まず計画を立て、そのプランに取り組め」

インタイム(アラブ型)アソシエイト

  • 時間軸が前後に広がっている。
  • 自分自身をアソシエイトの状態で感じる。

自分の記憶を後ろから前へ、上から下へ、あるいはV字などの形状にタイムラインを符号化する傾向があるが、過去・現在・未来の一部が 自分の後ろやあるいは体の中にあるの特徴です。

インタイムの人は過去を自分の後ろに保存し「過去はもう水に流せ」といったフレーズを使う傾向がある。インタイムの人は、記憶にアク セスする際は、有る出来事や時点を振り返り、その記憶を自分自身の目で見て、自分の感情で感じようとする傾向、つまりアソシエイト (連合)の状態である。彼らはいつでも「そのとき」に存在することができる。常に「今」に集中することができる。インタイムの人は、 いかに混乱した場面においても、今この瞬間にやすやすと完全集中すし続けることが出来る。インタイムの人は秩序にとらわれず、より自 発的に柔軟性に富んだ何の制約もない生活を送ろうとします。計画を立てるより、「自然の成り行き」に任せて、自らの体験を通じて順応 する生き方を好む。締め切りを嫌い、もし締め切りを設定せざるを得ない場合は、意図的に早い締め切りを設ける。

時間構成の確認

毎日行っていること(定着したプログラム)について、今朝、昨日、1週間前、1ヶ月前のイメージが、自分を中心に、自分の周りどこに あるのかを確認する。また未来については、同じように確認する。

このライン、タイムラインが、その人の時間軸の構成方法である。 通常、未来は前方、あるいは右方向に向かっている。過去は後方、あるいは左方向に向かっている。

ここで改行

時間軸の確認

*参考資料(.pdf)(別 ページで開きます)下記にテキストを表記する

練習課題

時制が、過去、現在、未来とある文章である。それぞれの時制を区別する

 味覚障害か?・ と自分で思うくらい、辛いものが好きである。人より辛いものが食べられるという自覚がある。激辛好きは総じて自身の激辛趣味を恥じているから、注文のときも声がちいさい。辛さの選べるカレー屋で「あの1、(十段階中)十倍で……」と小声でささやいたりする。 先だって、この私の激辛好きが原因で、たいへんな悲劇が起きた。

 このぺージの担当をしてくださっているSさんと、所用があって昼に落ち合い、そのままランチを食べにいくことになった。場所は私の仕事場の近く。すごくおいしいカレー屋があるんです、と私は彼女を案内した。このカレー屋、辛さが選べる。私はいつもは激辛なのだが、この日はやまっ気を起こし、激辛二倍を注文した(ちなみに激辛四倍まである)。Sさんはごくふつうの辛さ。

 注文した品が運ばれ、私たちはアレコレとおしゃべりしながら食べはじめた。「うわ、すごく辛いですね」とSさん。この店のカレーは、「ふっう」を選んでもけっこうぴりっとする。だから「ふつう」のドに、「甘口」が二段階あるのだ。(Sさん、辛いもの苦手なのかな……)と思いつつ。「そうなの。けっこう辛いんです。辛口を勧めなくてよかった」と私は笑い、自分のカレーがあんまり辛くないことにひそかに首をひねった。

 じつは三日ほど前、私は常人がにおいすら嗅げないだろうほどの激辛ラーメンを食べたばかりだった。あのせいで辛いもの免疫がついて、激辛二倍もなんともなくなったのかなあ、と思うが、しかしそれにしても、辛くない。お店の人が辛さの段階を間違えたのかも(恥ずかしさのあまり小声で注文するので、ふつうと間違えられることはよくある)、と思うが、しかし店員の女の子に「辛さ問違ってない?・」などと指摘して、新しく作りなおす、となったら面倒だ。なんて思いつつ、横目でSさんを見ると、Sさん、ぜんぜんスプーンが進んでいない。(もしかして、口に合わない?・)と不安になりながら、完食。Sさんはルーだけ少し残している。

 [なんか今日は辛くなかった……]と言いかけ、私ははたと気づいた。Sさんも同じく、はっとした顔で、「これ、一口食べてみてください」と、ルーの残ったお皿を押し出す。食べてみて、「ああ!」私は叫んだ。それはまごうことなく激辛二倍の味だった。Sさん、こんなに辛いの、よく食べた! 自身の狂った味覚の自覚がある私は、ひたすら申し訳なく、気の毒なのだが、しかし、笑いがこみあげてくる。Sさんは私か激辛好きだと知っているので、ふつうがその尋常ならぬ辛さ、その二倍を私か食べていると思いこみ、なんとすさましいことかと内心思っていたそうだ。なんてこと。激辛好きが招いた悲劇。とはいえ、悲劇なのは地獄のように辛いカレーをほぼ完食したSさんだけだが。

 ああ、この激辛二倍カレー・でフレッシュな昧蓄を潰しに潰したSさんが、激辛界に仲問入りしてしまったらなんとお詫びしよう。つていうか、思い切り笑ってごめんなさいSさん。