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主体性


主体的に考える事は、自分に責任を持つことであり、また自分らしさを実現するためです。

自分が、自分の人生をコントロールする事が出来る、と分かる事は重要な事です。周囲の影響を受けたとしても、自分自身が、選択をして いるということを知る事で、他の選択肢を探し始めることや、進んで行動する事が容易になります。

奈良少年刑務所で、「おれは、かつての上司にいい性格を殺された」と言ったのを、「あなたが、そうする事を学習したのよ」と言いかえ たら、表情が和らいで、頭の角度が上向きになって、声のトーンを少し上げて「ああ、そうか」と言いました。身体の状態が変化する事 は、思考の状態が変化したことを意味します。

結果はどうであれ、可能性があるなら、やってみる価値はありまあす。


自分の人生を自分自身で生きるために、表現を主体的にすることは、あなたの主体的な人生の行動をサポートします。主体的に表現するこ とで、自分自身が何をしていいのかに気づく手助けとなります。

爆笑問題の太田さんがこんなことを言っていました。
「ブログに『太田死ね』って書かれると嫌だけど、『太田殺す』だと、嫌な温かみがある」。

ある病院の研修で「代わりに要件を承ります」という代わりに「私が要件を承ります」と表現したところ、自分に責任感が持てた、言った 人がいました。誰かに何かをしてもらうために、あなたが出来ることはたくさんあるはずです。ただ待っているだけの人生よりも、自らが 行動する人生のほうが楽しいでしょう。

Art


日本語は主語を省略しても、関係性が分かる合理的な言語システムがあります。
内側か外側か
 「外出した」→自分か自分に近しい人
 「外出された」→自分の身内以外、あるいはそいう立場の人
敬語に詳しい内容があります。
*日本語の対人関係表現(敬語)

社会の構成が多種多様になったため、主体性を明確にするためには、人称(一人称、二人称、三人称)を表現することです。


例 ・「さよなら」じゃなくて「おやすみ」と言ってほしい>こちらから「おやすみ」と言う。
  ・ケーキを買ってほしい>ケーキを買ってとお願いする。

Point

・自分+Doing
・肯定的な表現
・提案する

「出来る」という表現は、能力や可能性を表す除法助動詞ですが、この表現を使うときは、まだ何か自分でコントロール出来ない要素があ ります。「~たい」という願望を表す除法助動詞は、まだ行動するに至りません。「出来る」という表現、「~たい」という表現が「す る」という断定表現に変わった時、完全に動き始めます。

しかしながら、これらは、主体となる人が自ら行動するためには、主体となる人が自らの意志で表現する必要があります。

自分で出来ることがない、という状態は、愚痴や文句を生み出します。

Work


誰かに何かをしてもらうために、あなたのできる事は何でしょうか


・「さよなら」じゃなくて「おやすみ」と言って欲しい
・抱きしめられたい
・ケーキをかって欲しい
・いつも笑顔でいてほしい
・悲しくさせないで欲しい
・みんなに頑張って欲しい

※相手のメリット、相手の負担軽減(気持ち、身体的)、お願い、せざるを得ない状況、一緒にする、教えてもらう…


あなたはそれをいつから始めるのでしょうか。

もし、始めることを引き止めているものがあるとすれば、それ何でしょうか。


・勝つことを目標にしたい
・やる気を出したい
・コーヒーを飲みたい
・伝えていきたい
・チャレンジしたい

※したい → 出来る → する

ある大学長の新聞掲載のコメント


次の記事が違和感を感じさせるのは、自分のことが可能性で、学生のことが断定だからです。自分のことを断定にし、学生のことを可能性 に変えてみてください。

*記事

 学生たちに強く望みたいことがあります。それは、行動に向けて一歩踏み出してほしいということです。(中略)たしかに、今の学生た ちは多忙です。厳しい経済状況下で、とりわけ地方では、生活のためのアルバイトが必要かもしれません。でも、時間やお金の余裕がない ということを、一歩行動に踏み出せない言い訳にしていませんか。(中略)たとえ満足のゆく結果にならなくとも、振り返り反省すること で、前進できるはずです。(中略)そうした学生たちを教員は、専門性をもつ教育者として支援していきたいと思います。
読売新聞 2010年 某大学副学長 I氏


自分らしさ


①自分らしい持ち物は何でしょうか。
②自分らしさとは何でしょうか。
③自分らしく生きることは、社会にどう貢献できるのか?


Note


「自分をありのまま表現して出し切ることが、チームに貢献すること」宮崎大輔(ハンドボール)

「私たちは、一人ひとり異なったDNA(デオキシリボ核酸)と呼ばれる二重ラセン染色体を持つユニークな存在なのである。今後、そし てそれ以前も、あなたと同じ遺伝子構造を持つ人間が生まれることは、決してない。この宇宙に、あなたと同じ遺伝子結合を持っている人 間は、まったく存在しないのである。(中略)あなたの才能と欲求は、私だけでなく他のだれのものとも違う。したがって人と同じことを する必要など、どこにもないのである。」
(引用:アール・ナイチンゲール/田中孝顕訳『新装版人間は自分が考えているような人間になる!!』2008年、きこ書房、 p.35)

主語を「私は」「私が」で始めることは、主体的に考えるきっかけとなります。日本語は主語が省略されても文脈で理解できる構造を持っ ているためでしょうか、人称代名詞を使う機会は少なく、また発達していません。ですから、主語を自分にすることは、主体的に考える きっかけとなります。

また、主語が二人称になると、状況によっては、指示命令になります。