「ポジティブ」は、文法上の表現の形である。
行動は肯定的な想像、イメージから生まれる。 私たちの脳は無いものを理解しません。つまりあるものに関して理解をします。「無いものは無い」のですから、否定形は一度あるものとして理解したうえで、否定するという脳の作業を行います。言葉の表現として否定しても、言葉に表したものはすでにイメージしてしまっている。
否定的なイメージによって、上手くいかない例は、
否定的な表現を、肯定的な表現に変えたことで、上手くいった例は、
あるホテルの婚礼宴会用の駐車場は一組に対して4台で、それまで予約係りが 「駐車場は4台しかありません」と表現していたのを、「駐車場は4台もあります」と変更したら苦情が激減したそうです。
ポリアンナ効果(ポリアンナこうか)は、心理学用語の1つ。
1964年にアメリカ合衆国の心理学者チャールズ・E・オスグッドが「書かれた言葉においては、ネガティブ(否定的、悲観的、後ろ向き)な言葉よりもポジティブ(肯定的、楽天的、前向き)な言葉の方が大きな影響を及ぼす」ことを説明する際、使った例えである。
一般的には、
- ポジティブな感情を伴った記憶ほど思い出し易く、ネガティブな感情を伴った記憶は思い出しにくい。
- 一般に人は肯定的な評価を好む。
- (特にマスマーケティングにおいて)否定的評価は肯定的な評価に比べて集まりにくい。
などを指す。
1913年にエレナ・ホグマン・ポーターが書いたベストセラー小説『少女パレアナ』 (Pollyanna) および『パレアナの青春』(Pollyanna Grows Up,テレビアニメ『愛少女ポリアンナ物語』としても知られる)の主人公ポリアンナにちなみ、名付けられた。
私たちは、先のポリアンナ効果のように、他者の期待に応えようとする機能と、 一旦、イメージしたことの枠内で考えようとする機能(フレーミング効果)の機能があります。
両極:負けたくない↔勝ちたい、遅刻しない↔時間通りに行く
態度:否定形が多いと避けることに動機づけられる、愚痴や文句が多い、ひがみっぽい、我慢強い、
推進システム(動機付け)に関わる。
私たちは、言葉によって、イメージを想起する。名詞は物体をイメージし、動詞は動きをイメージする。イメージしたことは、それによって感覚を呼び起こさずにはいられない。私たち人間は、想像や創造、記憶によってイメージしたことは、あたかも実際に経験しているように感じることができる。想起したイメージが、快であれば、それを実現しようとし、想起したイメージが不快であれば、それを避けようとする。
以下は正に我慢を強いる。我慢がもし不快な感情であれば、そこに不快をアンカリングすることになる。
それが目的に合致しているかどうかを検証する必要はある。
我慢を強いる、抵抗するか、どこかで我慢を発散するか。
否定形を肯定形に変えるために、肯定形で質問する
代弁する
否定語は、肯定語の反対ですが、否定語を肯定的に表現すると、しばしばそれは多くの答えがあることが分かります。したがって最初から 肯定語で表現することは、理解しやすい表現となります。
Index
例
例
※することが分かって、相手がそうしてくれる可能性が高くなります。
例
キリスト教弾圧の250年の間、隠れキリシタンの間に口伝された聖書の「最後の晩餐」は、イエスが弟子達とその夕食を始めたとき、そ
こにいる弟子の中にイエスを裏切るものがいると言い出した場面は、聖書の叙述では、「私と一緒に同じ鉢にパンを浸している者がそれで
ある」(「マルコによる福音書」14・20)が、隠れキリシタンの「天地始之事(てんちはじまりのこと)」では、「御身は人の心中を
さとりたまへば、これを御しりあって、「此の十弐人の弟子の中に、我に敵対(てきと)うものあり」とのたまえへば、弟子きいて「さよ
うなる心底のもの、一人もこれなし」と口揃えていふければ、御身のたもふは、「朝ごとに飯(はん)に汁かけ食するもの、我に敵対う徒
なり」とぞ仰せける」
パンを食べたことの無い人が「はん(飯)」と聞き間違えても不思議ではない、「鉢」「はん」「浸す」からイメージしたのが、毎朝の汁
かけ御飯、実体をしらなければ理解できない。書き残せないから、聞き間違える。
舟田詠子(『パンの文化史』朝日新聞社、1998年1月、p.6)
当たり前ですが、私たちは「真からそれを手に入れて嬉しいこと」のために行動していきます。脳もやはり「嬉しいこと」に向けて、あ
なたを導いていくのです。だから否定的な方向で「目標や目的」を描いても、うまくはいきません。
脳は否定形を理解しません。「失敗しないようにする」と言ったとき、脳は既に「失敗」をイメージします。そしてそのイメージを否定
しようにも、すでに五感は体験しそれを手に入れています。
(引用:木村佳世子『図解 NLPコミュニケーション術』秀和システム、2007年1月、p.28)
五感から得た情報、概念の多くは、言語化されて記憶に格納される。したがって、言語で表現されたものは、概念として、イメージ、香
り、皮膚感覚、音などで、私たちは想起することが出来る。
「無いものは無い」、完全な「無」というものを、完全に肯定的に言語化することが出来ない。有るものを対象とした上で、それを否定す
ることによって、「無」という状態を表現することが出来るが、それは、一度有るものを、概念として想起する過程を要する。
Refarence
児玉 徳美(2009)「概念化と言語化」『立命館文學 610』京都 : 立命館大学人文学会、pp.774-755